45年の仕事人生(① J社UKでの仕事、Marketing Managers meetingの設置)

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8月で45年の勤務を終え、退職しました 最後の2年半は週3日勤務の非常勤であったためか、違和感はそれほどなく、ソフトランディングができたのかと思います

45年はあっという間だと思いました もし23歳で社会に出る時に戻れたら、あーしたい、こうしたいと思いますが、過去に戻れないのが人生の妙味 毎日を新鮮に過ごせるのはこのルールのお陰であると思います

自分の仕事人生を振り返り、どんな経験を積んだのかをReviewしてみます

海外暮らしが24年

最も大きなポイントは、24年間を海外で暮らし、仕事をしたことであろうと思います 英国が4年、米国が20年、割と長い方だと思います

英国の4年間は、スコットランド2年とロンドン2年です 後にアメリカに20年住むのですが、初任地はやはり特別な思いがあります 右も左もわからない状態で始まった英国での子育て

一方で、仕事も初体験のことばかり 大変苦労しましたが、海外勤務がスコットランドで始まったことはとてもラッキーだったと思います 今でも連絡を取り合う友達(以前は部下でしたが)がいて、楽しいです 昨年は、30年ぶりのスコットランドを夫婦で楽しみました

アメリカの20年は、東海岸が8年、西海岸が12年 家電メーカーの駐在員としては11年、抗血清の製造を行う現地法人の責任者としては9年の勤務をしました 二つの会社は業種が全く違うことにも戸惑いましたが、グローバル経営の経験の多さと少なさの違いも大きく、とても苦労しました

海外営業要員への挑戦

元は国内営業要員として入社しましたが、当時VHSの世界戦略を展開していたので応募し、受理されました 国内のルート営業を5年ほどやりましたが、もっと大きな世界で仕事をしたいというのが大きな理由でした

しかし、海外営業はとても大変な仕事で、特に英語ができない自分は、内心(しまった)と思いましたが、後戻りはできず、上司や先輩の素晴らしいところを真似ながら少しずつ仕事を覚えました

英国への赴任、製販の齟齬

週3日稼働の実態

スコットランド工場に赴任しましたが、当時の工場は週3日稼働か週4日稼働という非常体制でした 赴任直後、従業員には現地人トップから、営業が売らないから工場の生産が止まっていると説明がありました

前任の日本人出向者にことの是非を尋ねると、「工場が作りきれないので販売現法に謝って回ってたら、市場価値が下がり今度は売れなくなった」との回答でした 販売現法のPSIと工場のPSIは繋がっているのかと確認すると、そういう商習慣はないのでやってないとのこと

ここから変えなければならないのだと理解しました

PSIの繋ぎ

当時、欧州には13の現地法人と5つの代理店があり、これらの販売会社のPSIと工場のPSIを繋ぐことを現地人と一緒に必死になってやりました これをやることで、今は足りてないが、3ヶ月後に生産が追いついても需要は一定だし、無くした小売店からの受注は戻らないことを工場まで見えるようにしました

一方で、Availabilityがあれば買うし、なければ買わないという販売会社に、先に確注をしたところからAvailabilityが確保されるから需要見込みを出さないところにはAvailabilityが用意されなくなる恐れがあると説明し、需要予測の精度を上げるように啓蒙しました

やってみれば当たり前のことですが、自分の仕事に一生懸命になればなるほど、起きている不都合な問題は自分の所為ではなく相手の所為だと思いがちです しかし、製造も販売も懸命に仕事をしており、問題はそれを繋ぐコミュニケーションのQualityであったというのが実態でした

このLocal PSIと工場PSIを繋ぐ作業はとても大変でしたが、やり遂げて、工場には、販売会社のLocal PSIを円滑に回すことが工場の使命だと説明し、その後は、円滑な事業運営ができるようになりました

Marketing Managers Meeting

欧州テレビ市場の多様性

当時の欧州のテレビ市場は、UKはドルビープロロジック内蔵テレビが市場を席巻していました 一方、ドイツやスイス等の中央ヨーロッパや北欧諸国では100Hzというパル方式の倍密の解像度を求められ、イタリアやスペインではとにかく安価なテレビを要求されました 

オランダやベルギーでは、4:3のアスペクトレシオから16:9の横長テレビへ急速に変化が生じており、これへの対応が求められました

しかし、会社の開発力はこれら全てに応えられるものではなく、せいぜい、1.5か2つくらいの対応がMaxという実情がありました

欧州Marketing Managers Meetingの発足

1990年代後半の欧州は、16:9の1080iやデジタル地上波放送が離陸する直前で、依然、アナログの市場でした 受像機としてのテレビは国や地域の文化を色濃く反映しており、各国の市場性が大きく異なっていました

しかし、いつまでも、事業部VS販売会社といがみ合ってても仕方ないので、思い切って事業部の商品企画開発に販売会社も入ってもらおうと考えました そして、市場の要求を製販が共有するとともに事業部の開発力の限界も知りながら、事業部と販売会社が共同で商品企画開発のロードマッププランを練り上げることを図りました

当時の欧州本社の御了承をいただきながら、イギリス、ドイツ、スイス、イタリア、オランダから若手のMarketing Managerにこのプロジェクトに参加してもらい、事業部現地からは自分と現地人のProduct Planning Managerが対応し、事業部の本体からは、商品企画部、技術部(電気設計、機構設計)が加わりました

会議で使う言語は当然英語 当初は自分の都合を主張するばかりで意思疎通がうまくいきませんでしたが、各国が各国の事情を理解し、先々のテレビの市場予測を立てると、中期の商品戦略を立案し共有するところまで進みました

本当に頑張ってもらい、発足して3年後には、100Hzの新モデルでテレビのヨーロピアンアワードを受賞するまでになりました 三人寄れば文殊の知恵ではありませんが、やはり、皆で考えることはとても重要で、計画だけでなく、その後の実行段階まで、彼らが一緒に作成したテレビ商品企画ロードマップを各国に説明する役割まで担ってくれました

仕事を通して人間に触れる機会はいろいろありますが、このMarketing Managers Meetingは各国が喧々諤々の議論を行いながらまとめていくという素晴らしい過程を経験し、個人的にもとても有意義な時間であったと思います

また、物事を決めるという過程で最も大事なことは、「真剣に聞くこと」を身をもって体験し、この経験がその後の自分の仕事への取り組みの基本となりました

あとがき

書いているうちにかなりの文字数になりましたので、45年の仕事人生は数回に分けて書くことにします

しかし、1990年代の半ば=30年前の仕事状況を割とクリアに思い出せるのは、やはり、当時とても苦労したからかなと思います それと、「歳をとると昔のことのほうがよく覚えている」という効果なのかもしれません^^

 

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