UKの4年の海外暮らしを終えて、アメリカに外地間転勤になりました
アメリカは欧州のような国ごとに市場が違うということはなく、巨大な単一市場を形成していました だから商品企画はシンプルでしたが、コストがどうにも厳しくて往生しました
実際、販売会社の利益をカスカスに削っても工場は赤字というビジネス どうにかして高く売ろうとしてもアメリカの消費者は許してくれませんでした 一方、安く作ろうとするとConsumer ReportなるReviewer誌があり、品質の劣る商品を徹底的にこき下ろしており、なかなか難しい市場でした
テレビの価格競争
アメリカのブランドであるRCAやZenithと比較すると、日系のテレビはどこも過剰スペックを持っていた事実がありました
それだけのクオリティを持っていることは、我々の誇りであり自慢でもありましたが、アメリカブランドとの価格競争では、どうにもついていけない難しさがありました
実際、テレビの裏蓋を開けてみると、アメリカブランドのテレビの部品数はとても少ないことに気がつきました 我々もこれくらいでできないのかと技術に相談しても、会社の品質基準が許さないとの答えでした
14”のシャーシで28”のテレビに画を出す
日本では決して許されない発想ですが、郷にいれば郷に従え 最もコストに効く電源部の回路について、14”の小型テレビ用の回路を28”の中型テレビのシャーシにも転用できないかという検討を行いました
出来上がるには出来上がりましたが、どうしても画面の焦点がボケてしまいます これは市場性が厳しいと言う技術に、実際に市場で並んでいるテレビと比べて勝負できるかを見てみようと提案しました
当時のテレビはブラウン管にビームで画を描き出す方式であり、高圧のコントロールが重要だし、ブラウン管で線が真っ直ぐに描けるかが技術の争いでした だから、中型サイズのブラウン管に小型テレビのシャーシで映像を描くのは常識はずれであると考えられました
しかし、出てきた画を、アメリカのブランドのテレビのそれと比べると、当社の方が良い画を出すことが確認できました キャビネットデザインも一新し、これを市場導入したら、かなりいけるという感触を持ちました
品質保証部の説得
しかし、最後まで首を縦に振らないのは、品質保証部でした この画質に当社のロゴを付すのは許されないとの理屈でした
しかし、我々が出品しているのは博物館ではなく、街の電気店であることを主張しました ブランドの矜持はとても大事であるが、他社と戦っている地域特性は勘案するべきで、売れなかったら元も子もないではないかという理屈を展開しました
結果的に品質保証部も譲歩してくれ、但し、他の日系ブランドのテレビの画質に大きく劣らないことが条件だと言われ、当方も技術と一緒に承知ました この戦略は28”テレビのみに行い、32”以上のテレビには展開しないことを決めました
結果
この戦略は、当たりに当たり、全米に展開していた家電量販店のCircuit CityやBest Buy等の超大型店を初め、地域量販店の全てにSKU(Stock Keeping Unit:定番)を獲りました
作っても作っても足りなくなるヒット商品になり、売り上げが倍増しました
半年くらいしてライバル社の知り合いから、なんであの価格が出せるのか?と聞かれましたが、いろんなコストを切り詰めているからだととぼけました
しかし、1年後に、「裏蓋を開けたら、部品点数の少なさに驚きました また、電源部の簡易さは、腰を抜かすほどたまげました」と言われ、よくこんな商品企画が通りましたねと言われました
それは、利益への執念の違いですと言いたいところでしたが、我々のようなところはこうやって、相手が当社のテレビを買う理由をきちんと提示するしかないのですと答えました
更なる挑戦
そして、このシャーシでバックパネルにRGBの映像出力端子を持たせ、まさに導入直後であったDVDと接続し素晴らしい映像を再生させるとして、$50高く値付けするアップスケールバージョンを発売しました
$50高い価格レンジは、当時アメリカでは、PIP(Picture in Picture)の機能を持つテレビの価格帯でしたが、デジタル機器対応のD -Seriesと名付け、同価格帯に導入したところ、これもとても売れ、利益貢献も多大なモデルに育ちました
フラットパネル以前の直視菅テレビの市場は、地域性が強く、地域の特性をいかに掴み、商品化に繋げるかがとても重要でした 当時は、Retailerの意見も聞きながら、現地が思い切った商品企画やマーケティングを展開できた時代でした
中南米通貨危機
1999年1月、アジアの通貨危機を契機にブラジルの通貨が暴落 全ての外為業務が停止され、輸出入のビジネスが停止しました
当時はアメリカビジネスの赤字を補填するべくブラジルのキットビジネスを開拓しており、パートナーのG社と契約を結んでいました
しかし、どうも雲行きが怪しい 北米での経験でRetailerでの実売の動きを見ることを心がけていましたが、テレビの販売が滞っており、当方へのキットの発注も滞っていました 業界全体に在庫が滞留していることを感じました
一方、部品メーカーや商社の情報として、部品の荷動きも鈍く、SCMが回っていない感触を持ちました
そこで、G社に連絡し、我々がRetailerの動きを確認しない限りG社からのP/Oを受け取らない方針を伝えました
実際、G社の発注を当方が受注してしまっては、製造が終わった完成品在庫のみならず、SCMの間にある部品や仕掛品を含めた全ての在庫は当方の責任になり、膨大な額になります 万が一のことがあれば、かなりのダメージを受けるため、自己防護策を取りました
しかし、これにはG社の役員が激怒し、当時の当社東京の担当役員にクレームの電話を入れてこられました アメリカの営業がG社のP/Oを受け取らない これは契約違反ではないか! 役員は驚き、当方へ連絡して来られ、もっと穏便に対応できないのかと尋ねられました
当方は事情を説明し、とてもきな臭い状態なので、2−3ヶ月だけ待ってほしい その間で確認し、大丈夫であれば、P/Oを受領し対応しますと答えました
その電話から1ヶ月後、突然、ブラジルの外為業務が停止になりました 中南米金融危機の発生です 普通にテレビキットを受注していた他社は数十億円の焦げつきが起き、大変な損害を被りました 当社は実損が300万円のみという奇跡のオペレーションで危機を回避しました
ラッキーだったとしか言いようがありませんが、私にRetailerの状態を見るのがいいと進言してくれたアメリカ現地採用のマネージャーや、現地がそうまで言うのなら2ヶ月待つかと言っていただいたS専務や、皆さんのおかげであると思います
現地が匂いを嗅ぐこと、それを危機回避のアクションに展開することの重要さを身をもって経験した出来事でした!
転勤
直視管テレビの拡販やプロジェクションテレビの導入等を進めていたら、本社の役員から異動を命じられました
異動先は、メキシコ工場の社長であるとのこと 当時は44歳 本当に驚きましたし、(なんで営業の自分が工場の社長になるのか?!)という疑問がありました
メキシコ工場着任
営業として月に1度は訪れていたメキシコ工場でしたが、ものづくりには全くの素人でしたので、とても苦労しました
しかし、なってしまったものは仕方ないので、ISO9001やISO14000などを、先輩たちに教わりながら学びました また、英語版の教科書も熟読し、緊張してISO監査に対応したりしていました
デジタルへの対応の難しさ
ただ、時代はデジタル アナログのテレビでは強かった当社がデジタルでは遅れをとり、市場でのシェアを大きく落としました 工場での生産も閑古鳥が鳴く状況になりました
そういう中で、なんとか黒字を維持しようと懸命に考え、生産ライン長を半分にすることを提案しました フラットパネル商品の価格が毎年3割から4割下落しているのだから、生産ラインも同様に縮めて対応するべきと唱えました
最初は全く聞いてくれなかった工場の主要メンバーも、熱心に説いていくと根負けして、そうやって固定費を削減していくことに合意してくれました
米国市場でのデジタル製品の苦戦
この工場での経験は、本当に辛く、厳しいものでした 事業部や本社への説明は難しく、日本や欧州の活動と比べて見劣りすると揶揄されました
しかし、米国でのフラットパネルの価格下落スピードは他の地域のそれではなく、とんでもないレベルでした そして、大手量販からは他社からの価格改定に従い同様の価格補正を求められました できないのであれば、数万台の在庫を全て返品するというメールが入り、72時間以内の回答を求められました
グローバル市場への対応をするために満艦飾に仕立てたLCDは、米国市場での価格競争力に劣り、SKUを維持することが困難なモデルと変わっていました
アナログの時代もデジタルになった後も、アメリカの市場は価格重視で、高付加価値商品の価格差を認めない傾向がありました
加えて、アナログの直視管テレビは一流メーカーと二流メーカーの画質差が誰もが分かるレベルだったので価格差の正当性を主張できましたが、表示デバイスがフラットパネルになると、画質の良し悪しは、ほとんど見分けがつかないレベルに変わり、ブランドによる価格差を持ちにくくなりました
最初は待っていてくれた大手量販店も、価格対応が遅くなることを嫌い、表示デバイスを有しタイムリーに価格対応するブランドを中心にSKUを構成するように変化しました
アナログテレビの時代は、量販店のバイヤーもメーカーと一緒にメインメーカーに対抗するブランドを育てて業界全体を活気づけようという動きがありましたが、製品がデジタルに変わると、そんな余裕は吹っ飛んでしまいました
デジタル&フラットパネル時代は、ブランドを育てるなんて余裕はなく、売れるものをSKUに選定し、他店の価格攻勢に速やかに対応して売りぬくことが最優先される時代に変わっていきました
あとがき
J社勤務時のアメリカビジネス 前半は破竹の快進撃でしたが、デジタル製品LCDに変わった後半は、価格対応ができず、苦戦が続きました
特に、役員会での予算の説明で、台頭してきたSamsungやLGとの性能比較や価格比較をやると、「なんで韓国ブランドなんかと比べるんだ?!」と叱られる始末
成功体験を持つことはとてもいいことですが、過去の成功体験が強すぎたためか、新しい時代の波に乗ることができず、生き残りを高付加価値路線に求めようとしました しかし、それはフラットパネルの成長前期において市場が求める姿ではありませんでした
一方、営業マンであった私が奮闘した工場でのマネージメント経験や、デジタル移行期の煮湯を飲まされた経験は、別業種への転職後の仕事人生で勝ちゲームを作る大きな糧となりました
この後、人生で無駄なものは何もないのだと、知りました

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