45年の仕事人生(⑤ N社アメリカ現法Iowa工場の実態)

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Carifornia工場も大変でしたが、中西部にあるIowa工場も大変でした 情報が遮断されており、この工場はCaliforniaとは別の意味で、N社アメリカ現法傘下のDBAであるという意識がありませんでした

N社アメリカ現法の社長室は、California工場の一部を間借りした形になっていたので、Californiaでは普段からランチルーム等で皆と顔をあわせる機会はありましたが、Iowaはこういう機会は全くありませんでした

毎月の訪問

CaliforniaからIowaは結構遠い

まずは意思疎通を図ろうと、カリフォルニアで毎月のDBA会議に出席したように、IowaでもMonthlyのManagers会議に出席するようにしました 

Temeculaの自宅からSan Diego空港まで1時間 そこからデンバーやフェニックス経由でDes Moines空港まで飛び、レンタカーを借りて1時間半かけてBooneにあるIowa DBAまで行く行程 時差2時間があり、行きは朝5時に出て夕方4時ごろ着くという旅 帰りは朝5時にホテルを出て、午後2時か3時に帰宅する旅でした

行きか帰り、またはその両方で、夏も冬もフライトの遅延が起こったりキャンセルが起こったりして、このIowaへの毎月の旅は、なかなか大変でした 

実際、日本で考えるとCaliforniaからIowaは稚内から鹿児島の距離に匹敵し、これを名古屋や静岡で乗り換えて飛んでいるという行程になります 距離があることに加え飛行機の便が少ないため半日かかるのはなんとなく理解できると思います

ただ、蹄の割れた動物が罹患する口蹄疫等の病気にヤギもかかりますが、これだけ離れていると、どちらかが伝染病の被害に遭ってもどちらかは免れることになります そういう危機回避の観点では、離れた場所に牧場と工場があるのは、良いことではあるのですが

ともあれ、同じ空間で話をすることが大事だと考え、マイナス20℃になる冬も、必ず毎月行きました

今期の見込みと来期の計画の説明

まだ凍てつく3月にいつも通りIowaの工場に行き、工場内製造エリア拡充のための空きスペースを片付け、Iowa工場の従業員全員を集めて、白布で作ったスクリーンにPPTを投射しながら、私から、アメリカ現法とその中のIowa工場の今期の見込みと来期の予算案についてプレゼンを行いました

1時間ほどの説明を行った後、質問はありませんかと聞いても、中西部の人はシャイな人が多くて、手を挙げる人はまずいませんでした Californiaだと、プレゼンが終わった途端に「質問があります!」と大声を挙げる人が数名いるのですが、同じアメリカでも、西海岸と中西部は人間がかなり違います

誰も手を挙げないので、前に座ってた人にどうでしたか?と聞くと、こんなに丁寧に説明したもらったことは初めてでしたと言われました アメリカ企業だと事業報告を説明しないの?と問うと、そうでなくてこの会社に入って20年になるが初めて社長の説明を聞いたのですと言われました

説明会が終わった後、IowaのDBA長に全体説明会の準備のお礼を言うと、「本当にあなたが最初の社長です 皆の前で自分でパワーポイントを示しながら丁寧に説明してくれたのは」と言われました

半年、毎月ここに通った甲斐があったなと思わせた日でした 誠意は伝わるものですね

また、能力開発をされていない前任や前々任以前のアメリカ現法社長の皆さんは、このように日本人が1人もいないIowaのDBAで工場勤務者全員に対し、英語による説明を行うのは物理的に無理であったのだと思いました 

前任のN社アメリカ現法社長が自分の仕事はN社フォームへの勘定科目の書き換えを行い前月P/L実績を東京の本社に報告することだと頑なだったのは、やむを得ないことだったのです

テレビ会議システムの導入

導入準備

前職でポリコムのテレビ会議システムを使って欧州との会議等を効率よく行なっていた経験があり、N社アメリカにもポリコムのテレビ会議システムを導入することを提案しました

当時は、コロナ禍を経た今のようなリモートのシステムはなく、約100万円で会議室にテレビ会議システムを購入して、リモート会議を行う仕組みでした 

自分としては、隔月でIowaへの出張を行い、行かない月はテレビ会議でManager会議にCaliforniaの会議室から参加させてもらおうと考えました

IowaのDBA長にこれを相談すると、その金はIowaのDBAが負担するのではなくN社アメリカ現法が出してくれるのか?と聞くので、なんで聞くの?と問うと、その金があったら遠心分離器を買いたいからと答えられ、頭に血が昇りそうになりました 

まさに典型的な理系女子の回答ですが、コミュニケーションの良化を図ることより、抗原を精製する遠心分離器の購入の方が優先するというのは、当時の彼女たちの本音であったのだと思います

いいですよ Iowa工場に負担させるわけには行かないから、N社アメリカ現法として予算を確保しますと答えました

導入

ポリコムのテレビ会議システムが導入されると、アメリカ内の会議のみならず、東京とのMonthly Global Meetingができるようになりました ただ、東京で英語でコミュニケートできる方がおらず、当方で会議を仕切って進めていました

会議を継続的に行うことで、次第にスマイルが増え、お互いに信頼感が出てくるようになりました 

当時、日本側はSCMの上流に当たるアメリカでの抗血清の製造に関しては全くの知見がない状態にあり、まさにアメリカ頼みでした 逆にアメリカは、下流の日本での診断薬ビジネスの動きについては全く知らされておらず、注文が突然上がったり下がったりと困惑する状態にありました

テレビ会議は、お互いの情報交換を行うことから始まりました

California工場とIowa工場の違い

様々な点での違い

日本とアメリカのビジネスが違うだけでなく、同じアメリカにあるDBAもCalifornia工場とIowa工場は全く違うことがわかってきました

従業員関連では、Californiaはボーナスを出しており、Iowaは出していない 工場の運営では、CaliforniaではISOをベースとする品質管理を行なっているがIowaではISOを使っていませんでした

ものづくりの考え方も、Californiaではヤギに免疫する抗原の純度を100%近くにしてヤギの体内で生成される抗体の純度を上げるようにしているが、Iowaではまず抗原をヤギに免疫して、ヤギが作った抗体をうまくブレンドすることで顧客が求めるスペックに近づけるやり方をとっていました

CaliforniaのDBA長は、いかにCaliforniaが優れていてIowaが遅れているかを皆に吹聴して回りましたが、実際はどちらが優れているというものではなく、会社のポリシーが違うから、そのオペレーション全体も全く違う二つのDBAでした 

DBA統合効果を発現させるためのPMI推進の困難さ

DBAの資本を統合してその後継会社をN社のアメリカ現地法人としても、CaliforniaのDBAとIowaのDBAの中身は全く別物なのだと気が付きました そして、日本にはアメリカの2工場で作っている高血清製造の知見はないという現実がありました

日本の親会社がものづくりの上流を担当する子会社に技術統合を指示する上で、必要となる技術的な知見がないことは、致命的でした このことは、現地で、DBA統合の効果を発現するPMIを指揮する上で、大変難儀なものとなりました

IowaのDBA長からは、全てがCalifornia優先ではないかと迫られました 今後もその傾向が続くのであれば、Iowaメンバーは長くは働かないと思うとの発言もあり、気になるところでした

実際に、Iowa目線で考えれば、ISO管理を押し付けられたり、Californiaで使用しているERPソフトの導入を要請されたり、Iowaとしては自尊心を傷つけられるような統合テーマが数多ありました

私のIowa工場でのプレゼンは皆さんに受け入れられた部分がありました しかし、DBA間の機能統合の話をしようと両DBA長に依頼するとCaliforniaのDBA長はIowa工場まで行きますが、IowaのDBA長はサンディエゴ空港までは来ますが、決してCalifornia工場までは来ませんでした

あとがき

当時、California工場のメンバーからは、社長はCaliforniaに厳しく、Iowa工場のメンバーには優しい これは不公平ではないかという意見がありました 実際はCalifornia DBA長がIowaを揶揄するような発言をするので、これを戒めるために厳しくしていたところがありました

しかし、それ以上に気にしていたのは、Iowa工場の主要メンバーの集団離脱でした 全てをCalifornia優先とするスキームを構築してはIowaのモチベーションが維持されず、集団離脱が起こることが懸念されました

当時の販売比率はCalifornia:Iowaで、約50:50でした 半分の売り上げ構成比を持っているIowaのメンバーに万が一でも去られるような事態が起こっては、下流の日本の診断薬製造のビジネスに大打撃を与えてしまいます これを回避するために、大いに気を遣いました

多くの日系企業の海外工場展開は、日本のものづくりを総本山と位置付け、そのものづくりシステムを海外にも展開し教育も施すというものでした しかし、N社は、抗血清の製造経験がない状態で、アメリカの抗血清の会社を買収し市場参入しました 

抗血清関連のビジネスの経験もなく、グローバル経営の経験もない やむを得ず、経営やガバナンスを現地に放置状態にしてしまっていたために信頼関係が構築されることはなく、日本が総本山になるなどということは不可能な状態でした

まさか、社長を変えればなんとかするだろうと思われたとは思いませんが、当時の私は、東京や製品事業部が抗血清生産の現地を理解しておらず孤立無縁の状態でした 現地化とは、現地を変えるのではなくて、東京が変わらねば進まないと多くの方が言われますが、まさにそうだと思いました

しかし、ないものねだりをして愚痴を言ってても仕方ないので、DBA統合PMIの推進を基本的な部分から始める決心をしました

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