営業統合を成した後は、いろんなことがよりスムースに回り始めました 市場で戦うことを終えた2つのブランドという立ち位置に変わることで、全体最適に向かう体制が出来上がりました
顧客がCAブランドとIAブランドで価格を競わせるようなことを画策すれば、営業がやんわりと「無駄なことはしませんから、そういうアプローチはやめてください」と言うようになりました
写真は、早朝のサンディエゴ空港付近 Iowaに行く時や、M&A対象となったシアトルのK社やメイン州のC社に行く時は早朝のフライトで飛んでました そのときの空港エリアの朝焼けの風景です
2017-2019 ビジネス強化への移行期
体制強化
各種会議で各職能のManagerが定期的に顔を合わせるようになり、意思の疎通が大きく良化されました
ここまで良化されれば、CAとIAのDBA (Do Business As)ごとにDepartmentを置くのではなく、会社としてOne Tree体制をとり、各職能の長を設定し、地域間の諍いを根絶するとともに、各人のモチベーションをさらにあげようと考えました
DBAの責任者だった2人にはN社アメリカ現法の取締役になってもらいました
そして、各職能の責任者をCA/IAで分け合う組織設計を行いました 営業、企画、QAQC、経理財務、総務の統合長はCA、一方、生産、生産管理、R&D、人事、Animal Operationsの統合長はIAというように、襷掛け人事を施し、CAとIAで相互に責任Divを分け合う体制としました
さすがにIowaの集団離脱の危機はなくなり落ち着いていましたが、そういう懸念を持たなくて良い体制を設計し、よく説明して、皆さんに納得してもらいました
また、CAとIAで異なるJD(Job Descriptions)があり、記載内容も異なっていたため、JDを職能のクラスごとに内容を統一させて、ロケーション間の人事評価の齟齬がないように改善しました
これでCA/IA間を転勤しても同じJDで評価されるとなりましたが、ロケーション間で転勤した人は、私の駐在期間では出ませんでした
新Deptの設置
CA/IAの個別最適からN社アメリカ現法としての全体最適を目指す体制に移行する上で、生産管理Deptと購買Deptを新たに設置しました
生産管理はこれまで生産部がやっていた生産計画やPSI管理を引き受け、市場や営業と生産の繋ぎを行い、また、新しいERPソフトの導入の旗振りを積極的に行いました
購買は、これまでCA/IAの各Deptが個別に発注していたものを集中管理する役割を担うようになりました こうすることで、購入部材の平準化ができますし、支払いタームのコントロールもできるようになりました
一体感の向上
更なる一体感の向上を推進するために、四半期ごとに社内報を発行するようにしました 社内報は情報共有を目的として、CA/IAでの永年勤続表彰者の紹介や、入社XX年の記念月のメンバー紹介、リタイアするメンバーへのお祝い、子供や孫ができた社員へのお祝い、社長からのメッセージなどを掲載しました
また、N社アメリカ現法のロゴ入りのポロシャツやロゴ入りのオーバージャケットを作成し、クリスマス前に従業員に配ったりしました
日本との一体感の醸成を進めるために、経理関連と技術関連の駐在員を増やして、CAだけではなくIAにも駐在員を配置しました
IAでの日本人の駐在はアメリカに現地法人を設立して初めてでしたが、駐在員の借家探し等、Iowaの皆さんがとても親切にしてくれ、やはり中西部の人は情に厚いと認識を新たにしました
ビジネス強化
Iowa州立大学とのコラボによる抗原免疫の効率化追究の推進を進めるプロジェクトが始まったり、ERPソフトをマイクロソフトのNAVに変えることで、ものづくりサイドから経営へのインプット力を上げることを図るプロジェクトがローンチングしたりしました
少し前では考えられないようなコラボ体制がCA/IA/Japanでプロジェクト運営されるようになりました
CA工場でヤギに免疫する抗原が足りなくなると、IA工場のR&Dから抗原を緊急輸送してCAに届け、間に合わせるようにすることが始まりました これこそが全体最適を追う姿です
アメリカでの抗原精製が需要対応に間に合わないとなると、日本のN社総合研究所で遺伝子組み換えによる抗原作成が行われるようになりました アメリカの全体最適から日本を含めたグローバル最適体制が始まりました
SCMの上流部で圧倒的な世界シェアを有することが、N社の競争優位のポイントとなり、それがグローバル戦略の大きな訴求点となり、全社でサポートする体制が構築され始めました
2011年の赴任当時では想像もできなかったことが、自然にできる風土が出来上がったことは、本当にありがたく、この当時、心が震えるほどの嬉しさを味わいました
戦略的M&Aの推進
アメリカの抗血清ビジネスは、日本向け、欧州向け、アジア向け、米州向けがよくバランスしており、グローバルに展開しておりました
一方、日本の試薬ビジネスは、日本ではプレゼンスがありますが、海外ではOEMビジネスとして大手の診断機メーカーへの納品が主で、プロパーな海外販売ネットワークがない状態でした
シアトルK社の買収

当初の役割
これを打開するために、シアトルに拠点を持つ日系のK社の買収がテーマとなり、アメリカの我々もお手伝いすることになりました 実際、K社はFDAとのパイプがあり、510Kの取得にノウハウを持っていましたので、N社のグループに入ってもらえればとてもたすかります
当初は、当方は現地でのお手伝いというスタンスでいたのですが、スピードを優先するのでアメリカの弁護士を使おうとなり、ではN社アメリカ現法が懇意にしているCorporate担当の弁護士が良いということで、当方が窓口になりました
そうこうしているうちに、当方が実際にK社と交渉をすることが増えました 先方の社長からは、あなたはどこの出身ですか?と聞かれ、熊本ですと答えると、あーだからか!と言われたので、何でしょう?と聞くと、だからあなたは嘘をつかない人間に見えたのですねと言われました
聞けば、熊本の同仁堂というメディカルグループとの取引経験があるとのこと その経験を通して、熊本人というのは融通が効かないが、一方で恐ろしいくらい正直者であるというのがわかったとのこと
言われて嬉しくもありましたが、ビジネスマンとしてはちょっと下に見られているような感触もあり、少々複雑な思いがしました ともあれ、そんなことを社長と話す間柄になり、込み入った話もするようになりました
N社アメリカ現法の経営状況の説明
買収後のスキーム等を話し、当方がCaliforniaやIowaで採用している401Kの従業員ベネフィットや医療保険の会社負担率を教えると目を丸くして驚かれました
売買契約の成立後は、これらがK社にも適用されることになると思いますというと、それは従業員は喜ぶだろうなと言われました
また、動物由来の抗血清ビジネスなど大した金にならないのだろう?と聞かれたので、昨年の売り上げと営業利益を伝えると、腰を抜かすほど驚かれました
なんでそんなことができるのか?と聞かれたので、CAとIAの機能統合が進み、コスト体質が強くなった また圧倒的な世界シェアを持つようになったので、値引きがほとんど必要なくなりましたと答えると、あなた、結構すごいのだねと言われました
自分は昔あそこに行ったことがあるが、そんな大きな営業利益を出すような会社ではなかったと言われたので、アメリカ人が頑張ってやってくれているのですと答えました 儲かったら剰余金を貯めて、Californiaに新建屋を建設する予定ですと申し上げました
役割に変化
東京から担当役員がシアトルに来られたので、当方も現地に飛び一緒に同行し、先方と食事すると、K社の社長から、「窓口をアメリカ現法(当方)に変えてもらえないか」との話が出ました 役員は驚かれましたが、いいですよと即答されました
会食を終え、役員をホテルに送る道々、自分は現職に忙しく、あれは困りますと答えると、やれるところまでやってもらえないかとのことでした
翌週K社社長から、東京から専務が来られるというのはかなり本気なのか?と聞かれたので、そうです 個人的にも悪くない話だと思います PMIはアメリカ現法が担当するので従業員はHappyになると思いますと答えました
いくらぐらいの買取額を考えているのかと聞かれたので、以前日系の他社からの買収の話があった時に先方が提示した額を教えてもらえますか?と聞くとXXミリオンだったと思うと言われたので、そこまでは無理だと思うと言うと、ギリギリXXミリオンが出れば考える ただし、PMIはあなたが担当するという条件だと仰いました
ホテルに戻り、東京の役員に連絡するとその線で行こうということになり、本社の社長も説得するとなりました 一方で、デューデリ等がまだ終わっておらず、その観点からの市場価値を聞く必要がありました
デューデリ実施後の市場価値額が買収額に届かない場合は、のれん料として上乗せすることも検討しようということになりました
買収交渉とDone Deal
アメリカで懇意にしている弁護士を伴い、最終交渉を行いました 彼はUCLA大卒のエリート日系アメリカ人 弁護士にしては商売の機微を心得ており、先方の社長が残す従業員を大事に思っておられること、そのために当方が有している従業員ケアが大事なことをすぐに見抜きました
買収額の合意ができ、支払いは2度に分けて行うこと 2度目の支払いは、エンティティに不良債権等がないことが確認され、事業が確実に継承されたことが確認できた2年後とすること ただし、PMIは初回の支払い後、当方が進めていくことが合意されました
一方、日本サイドからは、アメリカに資金があるので、買収はN社アメリカ現法でやるように指示がありました 全く予期しない方針でしたが、ヤクザの親分が子分のポケットに手を入れ、これで払えと言われているのかと理解し、渋々了承しました^^
思いがけず当方がM&A契約の当事者になりましたが、これらを全てドラフトして、K社社長の別荘があるハワイのワイキキで調印式を行うことになりました 当方は一足早くLAX空港からハワイ入りし、ホテルの会議室を予約して調印の準備をしました
翌日朝、専務とK社社長が会議室に来られ、和やかにコーヒーを飲みながら談笑した後、K社社長と当方で契約書2部にサインをして、N社専務がWitnessとしてサインされました
買収完了後は、N社アメリカ現法の子会社として、当方がPMIを推進しましたが、K社をアメリカの販売拠点として試薬販売を行うグループマネージメント(全体最適)の強化は、自分が帰国しメディカル事業部門の部門長となった後、海外営業本部の責任者と一緒に行いました
Maine州の同業であるC社の買収
投資銀行
C社とはAACC展示会時等で定期的に食事をしたりしていましたが、東京のN社へのレターによって売却の意向が表明され、買取先を広く求めるので、NYの投資銀行がM&A全体のスケジュールをアレンジすると書かれていました
東京からは、他社に買われないようにする防衛のために定期的なミーティングを行うように指示していたが、やってないのかと叱責されましたが、当方は年に1度会っており、そのお叱りは適当でないと反論しました
ともあれ、投資銀行が間に入るということは、買収後のことも考えてではないかと相談し、実際に当方が投資銀行にメールでコンタクトすると、買取額とともに買取後のビジョンについて提出してほしいと返事がありました
現地視察

Maine州は、東海岸のマサチューセッツ州の北に位置し、愛称はThe Vacation State とても風光明媚なところで、Portlland Head 灯台が有名です
San Diegoから1日1便だけBostonへの直行便がありますが、ボストン空港から車で1時間半ほどかかります オフィスに近いMaine州のPortland空港に行こうとすると、NYかシカゴ経由で行くことが必要で、Iowa以上に遠い旅でした
まずは現地視察をしたいと依頼すると快くOKをいただきました その時点では抗血清製造ビジネスのライバル会社であったC社の内部を視察できるのは、とても興味深いことでした
また、現場を見ることは会社のマネージメントを知ることになるので、CAのVPであるEV氏に同行してもらいました
動物由来の抗血清の製造工場は自社以外見たことがなく、とても興味深く視察しました 多くは、我々の方が進んでいましたが、ヤギの飼育方法や、ヤギ小屋の管理方法にC社に一日の長がありました しかし、ヤギからの採血方法は、当方の方が自動化が進んでいることを確認しました
また、販売実績や利益を見ても、当方の方が圧倒的に大きく、特に利益はだいぶ異なりました C社のオーナーに当社の利益とだいぶ異なることを言うと、どれくらい違うのかと聞かれ、C社の利益額は当社の5分の1ですと答えると、とても驚かれました
視察の後、デューデリを実施し、C社の市場価値を客観的に割り出してもらいました また、不良債権の有無をチェックし、問題がないことを確認しました
数度のやり取りがあった後、ビジョンの提出日に日本の担当役員(専務)が来られることになり、当方もJoinしました このタイミングでCAのVPは夏休みに入ったので、その後は、当方と投資銀行の担当者、C社の社長でネゴしました
Visionの提示
当方で作成したM&AやPMIのVisionについてのPPTを専務に提示したところ、もう一つ踏み込む方が良くないかとアドバイスをいただきました 元のVisionは、従業員は全て引き継ぐとか、お互いのノウハウをオープンにして更なる品質向上を狙うとか、Generalな内容であったのを、もっと具体的な目標にしたり、それを共有する体制に変える等の前のめりな内容が望ましいとの指摘でした
ご指摘はごもっともで、急ぎ書き換え、Visionは「買収により世界一の抗血清供給者になる そのために、現在の1 Company 2 Brands戦略を1 Company 3 Brands戦略に変え、CA/IA/MEの3工場が切磋琢磨するスキームを構築する」と変え先方に提出しました
投資銀行からの電話
この「1 Company 3 Brands戦略により世界一の抗血清製造メーカーになる」というVisionは、C社のブランドを生かすという点で先方のオーナーの琴線に触れたみたいで、翌週、投資銀行の担当者から私の携帯電話に電話がありました オーナーは御社が提示したVisionに惚れ込んでおられるのだが、一方で提示金額は一番低かったとのこと
買収額をなんとか上げることはできないか?と聞くので、どれくらいが合格ラインになるのか?と聞くと、はっきりは言えないが、XX%近辺を考えてほしいとのことでした
ではYYでどうかと言うと、自分はYes/Noを言う立場にいないが、あなたがそういうレベルでネゴすればDone Dealに近づくと思うと、まるでイギリス人のような回答でした 了解と答え、東京に連絡して合意をいただき、翌日、投資銀行にそちらに行って話そうと連絡しました
買収完了後のPMIでこのVisionは確実に引き継がれ、買った側買われた側という立場を超えて、世界一の抗血清メーカーになるためにCA/IA/MEの各工場/各人が努力するベースとなりました
その後
M&Aが成立して1年近くが経った時、テキサス州の同業者から連絡がありMaineのFacilityの売却を考えないかとのことでした 何回かやりとりすると、欲しくてたまらないということがわかりました
実際、我々の世界シェアは60%を超えて倒すことのできないライバルに変わっており、本当に悔しい思いをしているのだとわかりました リスクを排除する上でも買収は十分な効果があったと確認でき、苦労の甲斐があったと思いました
帰任の内示
気がつくと、2011年に赴任して8年が経過していました 2019年の12月にいつもの通り冬休みの帰国をしようとしていたら、少し早めに帰り社長室に来るようにとの連絡が入りました
60歳の定年をアメリカで迎え、もう少しでカリフォルニアの新ビルの着工に目処が立つという時期でしたので、なんだろう?と出向くと、帰国して執行役になってほしいとのことでした
もうすぐ62歳になろうとしていたので、執行役で何をするのですか?と聞くと、メディカル事業部門のトップになりさらに会社に貢献しいてほしいとのこと 大変、驚きました
よく考えてくださいとのことだったので、自分にできるだろうかと自問しました 実際、アメリカの会社のマネージメントはやりましたが、日本での診断薬のビジネスについては知識も経験もありませんでした
考えていた時、J社の先輩の言葉を思い出しました 「自分を支えてくれた後輩や関係各位のためにも、自分が上に行くことが望ましい そうやって、自分の周りのプレゼンスを上げることは大事なことだ」
1週間後、謹んでお受けしますと社長にお伝えしました 正月を日本で過ごした後、アメリカに戻りアメリカ現法の上位者にこのことを話すと、皆が大喜びしてくれました 「アメリカの社長が日本のメディカル事業部門のトップになるなんて、なんて名誉なことだ」と言われました
そういう反応を聞くと、自分も嬉しくなり、もうちょっと頑張ってみようと思いました
翌年、2020年3月、9年間の駐在を終え、帰国しました
あとがき
45年の社会人生活のうち、21年が国内、24年が海外でした
国内でもたくさんの貴重な経験をしましたが、海外の勤務では、いろいろな意味で瀬戸際に立たされることが多くありました それだけに、記憶に残ることが多くあるのだと思います

海外の暮らしについては、以前書きましたが、海外の勤務については、多くを初めて書きました とても苦労したと思っていましたが、書き進めると、やはりやり甲斐が大きく、それに伴う喜びも大きかったと気がつきます
いろんな経験をさせてもらったことに感謝ですし、至らぬ自分を支えてくれた家族や同僚、現場の仲間に心からお礼を申し上げたいと思います
2020年の帰国後は、N社メディカル事業部門の部門長として、グローバル最適体制の構築を進めました 在任の4年間でいろいろな仕事を進めましたが、2022年にアメリカ赴任時に進めていたCA工場の新建屋の建設も無事に完了しました

本当にありがたい仕事人生であったと思います 小さいけれど、足跡の残る仕事ができました

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