マイレージクラブ
マイレージクラブへの入会
1994年のUK駐在当時、JALのマイレージクラブに入りました その後しばらくしてGlobal Clubに入ったように記憶します しかし、当時は、BA(British Airways)をメインに使ってましたのでJALは補足的な利用でした
1997年にアメリカNJに外地間転勤をした後は、BAのマイレージがほとんど使えなくなり、やはり太平洋便は日系のエアラインにしようと思いました
生涯マイレージ
JALには生涯マイレージのレコードがあって、私は173万マイルという表示になっています いつどこからどこまで乗ったかの記録もあるので、このデータでグラフを作ってみました 1994年から2024年まで30年間の通算マイレージです
30年間で173万マイルというのは平均で58,000マイル/年ということになります アメリカ便の平均が片道6,000マイルくらいですから、年間5往復を30年続けたことになる計算です
まさに昭和の駐在員だったのだと思いますが、結構乗ってる方ですよね
グラフを見ると1994年から1997年と2007年から2011年、および2020年から2022年に休憩が入っています 1回目はBA主体でJALでのフライトが少ない時期、2回目の休憩期は15年の海外駐在から帰国して国内勤務となったとき、そして3回目のフラットな部分はコロナ禍で海外出張を自粛した時期です
機内の思い出
オランダ上空での思い出
英国Glasgowに勤務したとき、オランダへの出張がよくありました グラスゴー空港からアムステルダム(スキポール)空港には直行便があったのでとても便利でした
ただ、特に冬は風が激しく離着陸は結構揺れました その日も風が強かったのですが、スキポールへの着陸前に突風が吹き、機体が大きく傾きCAが通路側に座っていた私の膝の上に落ちてきました 妙齢のご婦人を抱っこした経験がなく、とてもびっくりしました
わずか、2−3秒の出来事ですが、飛行機が揺れて怖かったというより、思いがけず楽しい思いをしたという思い出として記憶に残っています(笑)
太平洋便の思い出
米国NJに勤務時、JFKから帰国出張したとき、私が座る座席のヘッドレストが落ちるハプニングがありました 他の席に変えてもらおうとCAに相談したらビジネスクラスが満席で移る席がないとのこと しばらく待つように言われました
しばらく待ってるとパーサーが席に来て、機長が来てほしいと言われているので、操縦席にご足労をお願いしますと言われました 何のことかわかりませんでしたが、言われるままにコックピットに行きました
B747のコックピットはこんな感じだったと記憶しますが、左側の副操縦士がこちらにどうぞと言い残して操縦席を出て行きました 言われるままに左側に座ると、機長から、「申し訳ありません ちょっと修理が必要ですので、その間、こちらで寛いでいただきたくお呼びしました 狭くてすみません」と言われました
それは願ってもないことで、初めての経験だと言うと、実は上空ではあまりやることがないのですと言われました 前方を指差し、ゴミのように小さく見えてる前方を飛ぶ飛行機が見えますか?と聞かれたので、見えますと答えると、これ以上近づくと警告音が出るのです でも、ほぼ自動操縦ですから警告音が鳴ることはないのですが とのこと
そんな他愛のない会話を楽しんでたら、15分くらいで副操縦士が帰ってきて、応急措置を行ったので、とりあえずこれでお過ごしくださいと言われ、短い操縦席経験は終わりました
席に戻ると、ガムテームでぐるぐる巻きに固定されたヘッドレストがありました 寄りかかるとゴワゴワなので快適ではありませんでしたが、それよりも操縦席での経験が楽しく、思い返しながら残りの時間を過ごしました
あとがき
JALのB747の操縦席に入って機長との会話を楽しむなんて、2001年の911前の牧歌的な時代だったからできたことで、今では考えられないことです 当時は、アメリカの国内便は、操縦席の扉を開けっぱなしにして飛んでいましたし、空港のセキュリティチェックもカタチばかりのものでした
911から20年以上が経ちますが、、ガザ地区へのイスラエルの空爆、ウクライナへのロシアの侵攻等、憂うべきことが起きています 911前に戻ることは難しいですが、少しでも世界平和に近づいていくことを祈ります
コメント