仲良くなるには特別なコツはないかもしれませんが、仕事を進めるためや、海外での友だち関係を作るには、少し意識した方が良いことがあると思います
東海岸の同業他社のM&Aを行ったとき
NYの投資銀行との食事会
私が住む西海岸とNY投資銀行の東海岸で連絡を取り合って交渉を開始しましたが、やはり、電話やメールではなく、会って話そうということになりました
一緒に食事をしていたときに、Tonyは東海岸にもいたでしょ 東と西の違いは何?と聞かれたので、Bagelの味の違いだと思う 西海岸にはEss-A–Bagel がなくて悲しいと言うと、とても驚いてエッサベーグルを知ってるの?と聞くので、あそことUpper WestのHH Bagelは最高だよねと返すと、信じられないという顔になりました
商談
ハーバードビジネススクールが「仕事をする前に食事をしなさい、一緒に遊びなさい」と薦めていますが、まさにそうだと思います 投資銀行もそういう仲になることを願っていますし、一度良い関係が構築できると交渉がとてもスムースに進みます
買収価格の乙波を行なった後、彼らから電話があり、「実は売主と相談して、雇用を守ると言ってくれているオタクに売りたいのだけど、オタクの買収乙波価格が一番低いんだ なんとかならないかな?」という相談を受けました
Done Deal
わかった東京と相談して連絡しますと電話を切り、東京と相談し、半日後に契約条件の大枠をまとめ買値を上げて先方に連絡し、合意に至りました
メキシコ工場の責任者になった時のスピーチ
スペイン語でのスピーチ
大きな工場だったので会場のランチルームに入りきれず2回に分けてスピーチを行いました 秘書にお願いして日本語をスペイン語に訳してもらい、そのカタカナスペイン語を棒読みして15分ほど話したように記憶します
スピーチの後は、皆によく話しかけられました 下手くそな棒読みのカタカナスペイン語でしたが、日本語とスペイン語は音の種類やイントネーションが意外と似ている部分があり、彼らは私がスペイン語を話せると勘違いしてようでした
トピックスの挿入
スピーチの中で、自分が高校生の時、初めてメキシコと触れ合ったことを覚えています それは、デパートでやったメキシコ展で手作りのガラス製のコップを買ったことです とても素敵なコップで大切に持ってましたと話しました
メキシコ工場の社長になって2年後、車座の懇談会で、あのコップはまだ持ってるのですか?と聞かれました 私のスピーチに挿入したトピックスを覚えていてくれたのです 突然のコメントにとても驚き、まだ実家にあること スピーチを覚えていてくれてありがとうと返しました
今も多くのメキシコメンバーと繋がっているのは、こういう間柄を作れたからだと思います ありがたいことですね
韓国人とのお付き合い
韓国と日本の関係がギクシャクしていた頃、いつも行っていたクリーニング店の店主であるYunとの関係が始まりました
奥さんとの関係
奥さんは、当時の安倍首相が大嫌いで、日本は韓国の敵だと思っていました 自分は隣国どうし仲良くしようと言いましたが、わかりあうのは難しいと思うと言われました
でも、共通点が結構ある 例えば言葉 日本語の帽子は韓国でも同じ発音でしょというとそうだと言います 三角関係は?と聞くと、何それ?と言うので、「三角関係」だよというと、え?!さんかくかんけい?も同じ意味なの?と言いびっくりしていました
もっと面白いのは、食事だよ 韓国と日本だけが持つ家族の食事の習慣がある なんだかわかる?と聞くと、お父さんから食べることか?と言うので、昔はそうだったかもしれないが、今は違うでしょ 今もある習慣だと言うと、わからないとなりました
それは、お父さんのお茶碗と箸、お母さんのお茶碗と箸、自分のお茶碗と箸がそれぞれ、個別にあることだよ アメリカでも中国でも、皿は共有物だし、ナイフやフォークも誰のものと固定されていないでしょと言うと、とても驚いていました
このように、自分たちがグループを構成する一員であることをわかると、とても親近感が湧いてくるようです 日本人がみんなあなたみたいにいい人だといいのにと言うので、自分は特別な日本人ではなく、みんなこんな感じだよと答えました
Yunとの関係
Yunや彼の知り合いの韓国人とゴルフをする時は、少し気を遣いました 彼らも、日本人の私が一緒にプレーするのは少なからず緊張したみたいでした
1番ホールのティショットでYunがナイスショットしたとき、「オジャルゴン!(ホンイチ!)」と叫びました そうしたら、韓国人全員がびっくりして、なんでそんな言葉を知っているのだ?と聞くので、前の会社でサムソン電子とゴルフをしたとき、教えてもらったんだと言うと、そうかサムソンに知り合いがいるのかと一気に距離が縮まりました
ヨーロッパでの商品企画会議
ヨーロッパのテレビ事情
ヨーロッパの当時のテレビ事情は、とても複雑でした 一番売上の大きい英国市場はドルビープロロジック搭載が必要でしたし、ドイツを中心とした中央ヨーロッパは走査線を擬似的に倍にする100ヘルツ対応が必要でした 一方、先進的なフォーマットを好むベネルクス3国は画角が4:3ではなく16:9のフォーマットが必要だと主張し、南欧のイタリアやスペインはとにかく値段の安いものを開発してほしいとリクエストしていました
加えて、英国はPAL-I、フランスを除く大陸はPAL-BGで、フランスは一国だけ別のSECAM-Lという放送方式があり、とても悩ましい状態でした
窮余の策
事業部サイドだけで商品企画を決定するのは無理だと考えました それぞれの現地法人のMarketing Managerにも入ってもらい、開発力の実態等を共有しながら、議論をして決められないかと考え、Marketing Managers Meetingを設置しました
メンバーは、英国、ドイツ、オランダ、イタリア、スイスの5名と事業部から現地人と私の7名で構成し、事業部が持っている中期計画を叩き台にして、現地として納得しないまでも理解するレベルを模索しました
開発力の実態は、1.5バージョン/年でしたから、彼らの4つの要請を満たすには3年かかる計算になります まさに、戦略とは切ること捨てることということを具体的に決めねばならない会議でした
実際の議論は喧々諤々の内容となり、Marketing Managers Meetingを招集したことを若干後悔したりしましたが、あるべき商品戦略を全員で考えて時系列の計画に練り上げました
European Awardとその後
皆で作った商品企画プランと実際の商品は、その後、各国のReviewerが投票で決めるEuropean Award賞を獲得するに至りました 本当に素晴らしい賞をいただきましたが、それ以上に、良きビジネス上の仲間を作るのはとても大変だけど、本当に有意義であることを学びました
その後、アメリカに移り米州のMarkekting責任者になり、メキシコ工場の社長になり、米州の事業責任者になりましたが、このとき学んだことがベースとなり、いろんなシーンで皆で情報をシェアして共に考えることを行いました そして、自分だけで考えたり、狭い範囲のメンバーで考えるより、いろんなカテゴリーの人と考える方が良いプランになることを学び続けています
帰国して役員になりましたが、工場や開発や販売の現場に行き、車座の話し合いを行いました 退任時、350人以上の社員からいただいたメッセージに、目線を同じにした車座の話し合いが書かれているものが多くありました やはり、「人の心が動いたとき人が動くのだ」と再認識しました
あとがき
冒頭申し上げたように、仲良くなるには特別なコツはないかもしれません しかし、良い仕事をしようとしたり他の国の人と仲良くなりたいときは、胸襟を開いてフランクに話し合うのがいいですね
あなたやあなたの国のこんなところが素敵だと思いますと言われて、悪い気がする人はいませんからw
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