海外暮らしの戸惑い(アメリカ編Vol.5)

アメリカ

非常事態時の日米の対応の違い 自然災害とアメリカの銃撃事件対応講習について書きます

東日本大震災の対応の素晴らしさと国際競争で必要な自己主張

避難所でのランチ配給へのおばあさんのコメント

2011年3月に起きた東日本大震災 テレビを観ていると、避難所である学校体育館にいるご高齢の女性に自衛隊員が朝食のお弁当を手渡そうとしたところ、「自分は昨日の夕方もらったから今朝はいい 隣町の避難所は昨日の夕方なにも食べてないらしいから、今朝の朝食はそっちに持って行ってあげなさい」と言いました

非常時でも思いやりの心を忘れず、無意識に利他的な言葉を口にする日本人って本当に素晴らしいと思いました 

民度の高さがそのベースにあり、本当に厳しい環境下であっても、依然、お先にどうぞという美しい佇まいが変わらないというのは、世界に誇れる民族だと思います

自己主張 VS お先にどうぞの精神

ただ、国際社会は自己主張のぶつかり合いが起こる修羅場です お先にどうぞと言ってては、永遠に食べることができず餓死してしまう危険があります 

国内は単一民族で文盲率がほぼゼロ、かつ以心伝心の社会 翻って、国際社会は、多様な人種があり、言わないと分からない、また、ディベートで相手を論破することが重要な社会 

この違いをどのように克服するかは、かなり難易度の高いテーマであると思います

日本人の自己主張の弱さは海外でもよく知られていて、日本企業の米国現地法人で、トップであるべき日本人社長なのに、かなり無視されているというパターンが少なくありません 

アメリカ人も日本人社長を無視しているのではありませんが、結論を出そうとしないので、自分たちで決めた後、サインだけ貰いにいくというスキームになりがちです

Humble(謙虚)であること

米国においてもHumbleであることは、美徳とされています 人格者は自分自身に厳しくHumbleであろうとしますし、利他的であることも高い評価を受けます 

しかし、利他的な社会生活を営もうとすると自分が食べられなくなる危険があります

自己主張をすることとHumbleであることは正反対ではありませんので両立できます 少し表現が変わりますが、Decisive(決断力がある)であることと、Humble(謙虚)であることを両立できると素晴らしいですね

HumbleでありDecisiveであること

これを両立している最高の好例はLAドジャースの大谷選手であると思います 目標に向かい素晴らしい実績を遂げながらも彼の謙虚な姿勢は変わりませんし、1塁ベースに行く途中にゴミがあれば拾って自分のポケットに入れます 

米国人の多くが彼のことが大好きですが、彼がHumbleであることが深いRespectを受けている部分が大きいと思います

しかし、多くの人は、大谷選手のようではありませんから、もっと身近な目標を持つといいですね 自分への厳しさを持ちながら、他人へは丁寧で親切に接する そして目標の達成や議論には手を抜かないというのが必要であろうと考えます

米国での安全講習

手作りのワークショップ

アメリカでの安全講習は、1日かけて手作りのワークショップ形式で進めていました とてもカジュアルな雰囲気で、ランチを出して、グループごとにディスカッションできるように配慮しました

銃撃事件を受けての安全講習の変化

2017年以降は、米国での銃撃事件を受けて、もし自分たちのオフィスが銃撃されたら?!という想定で外部講師を招いて安全講習を受けました

講習は、実際の監視カメラの映像を使って行われました。講師から、大変ショッキングな映像が流れるので、精神的に耐えられない人は、退席しても構いませんという事前案内があり、犯人が学校に押し入り、一人一人の子供を撃ち殺していく映像を見せられました

子供達が教えられていた非常時対応の「机の下に入る」というのは犯人から丸見えで、引き摺り出された後、撃ち殺される監視カメラの映像が続きました

ビデオ視聴受講者全員がショックを受け、言葉が出ませんでしたが、講師が我々に言ったのは、「Run、Hide、Fight(逃げろ、隠れて時間稼ぎをしろ、それでもダメなら抵抗なく撃ち殺されないで戦え」でした まさにアメリカでの講習です

こんな安全講習を行う国は、世界でも米国だけだと思いますが、これも、米国の現実ですし、おそらく、住んでないと分からない実態であり温度であろうと思います

あるべき安全講習

アメリカでは、アメリカ合衆国建国時まで遡り自分と自分の家族を守る権利として銃を所持する権利が許されています アメリカ合衆国憲法修正第2条(セカンドアメンドメント)では、武器の所持と携帯の権利が保障されており、銃の所持は認められています。

この条項は1791年に制定され、「自由な国家の安全」のために民兵の武装が認められたという背景があります。

アメリカの銃所持率は88%にものぼっていますが、憲法によって与えられている国民の権利ですから、現状をベースに考えていくべきであろうと思います 

銃社会は日本人には馴染みがなくわかりにくいのですが、グローバルマネージメントを進める上で、我々が米国を理解するための研修は必要な措置になると考えます

あとがき

東日本大震災という未曾有の自然災害への日本人の対応と、米国における銃撃事件への安全講習について書きました ともに大変厳しい事例ですが、切羽詰まった事例であるがゆえに、その対応に象徴的な彼我の違いが見える部分があります

こういう事例を前にすると、相互理解は表面的なものではなく、制度や法令、また歴史や考え方等を含め、総合的な理解を持つことが必要であると気づきます 

世界はますます縮まっていますので、違う文化やシステムに戸惑いながら、色々な学びを進めていくことが必要になっています 

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