その時自分が何をしていたかを思い出せるニュース

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大きなニュースとは、その報に接した時ショックが大きくて、自分が何をやっていたかを思い出せると言いますが、たしかにそうであると思います

社会的な重大ニュース

日航機墜落事故

1985年8月12日月曜日夕刻の事故でした 当時は27歳 国内営業で城南地区を担当しておりました 夕方、ニュース速報で第一報を知りましたが、何が起きているかわかりませんでした 暗くなってどんどん追加される情報に戸惑い、怖くなりました

当時は写真週刊誌のはしりの頃で、生々しい写真が掲載されており、直視できないようなレベルの写真もあったと記憶します 倫理よりもスクープ合戦で勝つことが優先された時代でした

阪神淡路大震災の報

1995年1月17日早朝5時46分に起きた天災でした 当時は36歳 英国スコットランドに赴任していました 会社で一緒にテレビを観ていた英国人に、これだけの大惨事が起きているのに、略奪や強盗が起きないのはなぜなのですか?と聞かれ、意味がわからなかったことを覚えています

惨事が発生すると、世界のどの国でもスーパーマーケットや商店に窓ガラスを叩き割り商品を強奪したり強盗を企む輩が必ず出るが、日本ではなぜ起こらないのか?と言われ、日本では起きませんと答えるのみでした

それが教育のおかげだとか、儒教の影響を受けているとか、分厚い中産階級が社会のシステムを支えているとか、日本はとても秀でた国なんだと後になって学習しました

ダイアナ妃事故死の報

1997年8月31日の事故でした 当時は39歳 我々はこの直前の7月に英国からアメリカに外地間転勤をして、NJ州 Cresskilに住み始めたばかりでした 早朝の重大ニュースに驚き、リビングで家人にこの事故のニュースを伝えた時、空気が凍ったことを記憶します

911 同時多発テロ

2001年9月11日(火曜日)早朝の惨事でした 当時は43歳 1997年にアメリカに暮らし始めて4年が経過していました ニュースを知ったのは、横浜に出張していた時でした 日本時間で9月11日の夜でした 9時のニュースでは航空機がツインタワーに突っ込む映像が繰り返し報じられ、茫然となりました

急いでホテルからアメリカの自宅に電話をして皆の無事を確認しました その後、NJのオフィスに電話をしたところ、まだ連絡を取れない航空機が7−8機いるみたいだ 何がどうなったのかわからないと女性社員が狼狽していました 米国本社と相談して早めに自宅に戻るほうがいいと伝えました

日本での用事を終えて、米国に戻る時、飛行機の搭乗口にはNHKのカメラクルーが待機していて少ない搭乗客を撮っていました ジャンボジェットに10数名の搭乗客だったと記憶します

東日本大震災の体験

2011年3月11日14時46分に発生した大惨事でした 当時は53歳 八王子の事業所に勤務していました

とても長い間揺れましたので職場のテレビが転げ落ちないように支えるのが大変でした 家に連絡して皆が無事であることを確認し、八王子からは遠すぎるので自分は自宅には帰れないと伝え会社に留まることにしました

一晩を会社に留まることを決めてコンビニに行きましたが、おにぎりや弁当の類は全て売り切れており、わずかに菓子が残っていましたので、それを買って会社に戻りました 同じく会社に残ったSさんと一緒に津波関連のニュースを観ながら、酷いことが起きたものだと茫然となってました

翌日動き出したJRに乗り、自宅に戻りました

自分関連のニュース

宝くじに当たった

結婚してして間もない頃でした 風呂に入ってると大変だ大変だと家人が飛び込んできたので、ガス漏れでも起きたのかと青くなったところ、宝くじが当たったと気がふれたようになっていました

まあ落ち着け 風呂から出るまで待って!と言って出た後確認したら、確かに2等の100万円が当たっていました 車を買ってもいいかとかいろんな相談をしましたが、当時家計がマイナスだったのでそれの穴埋めをしたら半分も残らなくて、がっかりしたことを覚えています

帰任の内示

前々職でNJ勤務の時、2007年の8月ごろ(49歳)だったと思いますが、日本の事業部長から帰任の内示電話をいただきました そのとき、フライパンで焼きなすを作っていたことをよく覚えていて、(この忙しい時に電話なんかしないでほしい)と思ったことを思い出します

ああそうですかと電話を切った後、焼きなすを作り終わり、こちらから掛け直して、いつ出社すればいいか等を相談しました 

なんとも失礼な部下だったと思いますが、当時から料理が好きだったのかもしれませんw

母の死

2019年5月でした 当時は61歳 妹からラインで連絡を受けた時は、夕方、Californiaの自宅で仕事の電話をしていました 電話の相手に妹から母が亡くなったとライン連絡が来たと伝えると、すぐに帰国の準備をしたほうがいいと言われました

あまりに急な報だったので慌ててしまいましたが、夕方ですでに代理店も閉まっていたのでネットで航空券を予約して、翌日サンディエゴから飛び帰国しました

父の死

2023年の10月でした 当時は65歳 1ヶ月半前には父と二人で母の墓参りに行きましたから信じられないスピードでしたが、肺炎で亡くなりました

妹から連絡が入ったのが深夜だったのですが、そこから航空券を予約しようとして、九州便はどこも満席で予約が取れないことが判明 やむを得ず、寝ないで夜明けを待ち、5時過ぎに新幹線の予約を取りました 新幹線で九州まで帰ったのは学生の時以来だと思いますが、腰が痛くなりました

あとがき

それに接したとき自分がどこで何をしていたかを鮮明に思い出せるニュースってありますね ニュースで受けた衝撃と目に映った光景がセットになってて、長く覚えているのかもしれません

最近は驚くことが減っていますが、前職を退く時に350人の方から送別の寄せ書きをいただき、本当に驚きました 正確にはニュースではないのですが、まだ驚くことが起こるんだと思いました 家に持ち帰り、何度も何度も読ませていただきました

できたら、良いニュースで驚き、記憶に残したいですね!

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