お墓のこと2

マイブーム

昨年8月にお墓のことについて書きましたが、いざお墓を作ると、ちょっと考える部分が出てきます

義母のご葬儀

昨年義母が亡くなった折に、もしお墓のことで骨壷を入れるスペースがないとか、本家が難色を示すようであれば、うちのお墓に入ってもらったらと家内に言いました 

義母の夫は30年前に他界されておりましたが、家内は、やはり夫婦は一緒のお墓がいいのではと、本家のお墓に入れてもらうことをお願いしました

また、義母の家は浄土宗で当方は浄土真宗であるので、宗旨替えが必要 何より、墓石の石塔には○○家の墓と当家の家名が書かれているので、入りにくいのではないかと言われました

宗旨替え

義母は1人で住まわれていたので、どうしてもとは思いませんでしたから、無理強いはしませんでした しかし、もし、当方の墓に入ってもいいとなったときは、宗旨替えをしてもらわねばなりません

けれど、それはあまり重大な変更ではないように思います

生前、浄土宗がいいか浄土真宗がいいかなどという議論はしたことがありませんし、我々、日本人にとっては、死んだ後にどの宗派の墓に入るより、生前誰と仲良くしていたかが重要であるように思います

だから、もし、必要であれば、(それが死後であっても)宗旨替えをしてもらう方法はあったのだろうと思います

石塔の作り直し

本家がOKとのことでしたので、義母は義父が眠る本家のお墓に入ってもらいました

ただ、宗旨替え以上に抵抗があるのは、家名の違いです 石塔には、○○家の墓と彫ってありますから、苗字の違う義母がそこに入るのは抵抗があるかもしれません

そう考えると、自分の代はこのままにするが、自分の死後は、石塔は、南無阿弥陀仏とかみんなの墓とか、もっとGeneralなものに作り変えるのが良いように思います

そうすれば、息子はもちろん入れますが、娘の家族も入ることが可能になるのではないかと思ったりします もちろん、お寺に了承してもらわないといけないことですが

あとがき

浅田次郎のエッセイを読んで、こんなことを考えました
<続・宗旨替え>ではこんな記述があります

30年もともに生きて、さあ死んだから別れましょうというほど、神仏は畏れ多いものだとは思えなかったのである。 
中略 義母は母の眠る墓に入った。勝手に入れてしまったような気がするが、散歩がてらに立ち寄ることのできる近所の墓である。
中略 神が人間を択ぶのではなく、人間が神を択ぶ日本人の作法には、人情にまさる信仰などあってはならないと信ずるからである。

せっかくこしらえた墓ですし、私があっちに行った後は、息子に頑張ってもらおうと思います^^

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